福島の仮設住宅で盆踊り

  • 2014.09.24 Wednesday
  • 14:58
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県青協(神奈川県建設労連青年部協議会)が
主催して、福島県の安達運動場仮設住宅のみなさんと
盆踊りを開催してきました。

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今年で3回目となる仮設住宅への支援活動。

「浪江にいたころみたいに盆踊りをやりたい」
という仮設住宅のみなさんの声を形に。

仮設住宅自治会のみなさんと一緒に
福島をはじめ、山形からなど全国各地の建設青年が集まって
「浪江と神奈川の絆祭り」を作ってきました。


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建設労連の主婦の会の方たちも一緒に、商工会や自治会、
県青協のメンバーが生演奏で奏でる相馬盆歌に合わせて
踊りました。

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昼間は模擬店を出したり、
20メートル近く竹をつなげて超ロングの流しソーメンも。
子どもたちも大喜びでした。


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中部建設から参加した青年部員は包丁研ぎの受付がかり。
昨年も大盛況だった包丁研ぎ。「今年もお願いね」と
みなさんが持ってきます。大忙しでした。


絆祭りの翌日は、特別に浪江町の中にバスで入りました。

帰還困難区域をバスは走っていきます。

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この大型バスを借りるのにも、苦労が。
子どもたちも使う大型観光バスは、走行履歴が特に問題に。
「帰還困難区域を走る」ことによる被ばくが原因でバス会社は
なかなか貸してくれません(当然というば当然)
私たちの趣旨を理解してようやくバスを貸してくれるバス会社が
見つかり、中に入ることができたのでした。

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「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板が。
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なんでも無い風景に見えますが、線量はバスの中でさえ
川崎の除染基準の50倍以上。川崎だったら市の職員が
すっ飛んでくる線量です。

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今は誰も住めないまち。

帰還困難区域を通って、避難指示解除準備区域へ
地震と津波の被害が大きくいまも残っています。
まるであれから時間が止まったよう。
時間を止まった「まま」にしているのは原発事故のせい。
「原発さえ無ければ」という言葉が実態として目の前に
現れる。

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絆祭りの前日に仮設住宅の人たちと交流した時に自分が感じたこと
 

福島の仮設住宅の自治会のみなさんと一緒に飲んだ。
一緒に飲むのは2回目。
色んな話を聞く。
原発で働いていた人ももちろんいるし、
3.11の時に原発のトレンチにいた人、
休憩所でタバコ吸ってた人も。
普通なら20分で帰れる道を4時間かかったと。

いま大変なのは「仕事が無いこと」人にとって、
仕事は生きがいだったり日々のやりがいだったり必要なもの、
それを奪われたままなこと。


(仮設に暮らす人全部では無いんだろうけど)
雇ってもらえない。

補償金をもらっていて暮らしを補償されてる事や、
雇う側からの「余所者意識」や「いつまでいるの?」という
意識など色んな要因で仕事が与えてもらえていない。
面接を受けても仮設住宅ということで落とされる。


仮設住宅の周りの地域住民にもある
「いつまでいるの?」意識
(そういった声が仮設住宅に暮らす人に聞こえてくる)
元々は運動場として地域の人が使っていた場所だから、
そういう声がごく一部でだろうが上がってくる。

明日の祭りのタイトルも「浪江と神奈川の絆祭り」
でなくて「浪江と福島の絆祭り」にしてくれたら、
近所のスーパーにも貼ったりできたと言われた
(仮設住宅の自治会長が考えたタイトルなんだけど)

仮設住宅に暮らす人と地域にもとから暮らす人との溝を埋めたい。
そういう意味で、地域ぐるみのお祭りが必要だし
改めて今回の祭りの取り組みは素晴らしいと思った。


今回の盆踊りは、
テントから何から仮設住宅の自治会主体で動いていて、
大変だけどみんなで作り上げるものがある。
そこが重要だし、もし地域の人ともそれができたら本当にいいと思う。

 

学校でも
「浪江の子が悪くなると世間のあたりが厳しい」
「他の地域には悪くてぐれてる子はいないのかよ」
と言いたくなる。
「子ども達の方がよっぽど素直なのかも知れない、
俺たち大人もぐれたい様な状況で、
でも大人だからガマンしてしまってる」
安達仮設住宅に暮らす子ども達は、みんなで通う学校が違う。



3年目の仮設住宅でのいま

「この暮らしに慣れてきてることが恐ろしい事だ」

と言ってた(そうだよなー)


僕の方から

「補償金もらってパチンコ行って遊んでるみたいな声あるけどどう思う?」
と聞いてみた(飲んでないと聞けないな)

 

「俺たちは普通に暮らしたいだけなんだ。
俺たちが何か悪いことをしてこんな暮らしになってるなら
まだ納得できる、でもそうじゃない。
仕事も生きがいも奪われてなんもやること無くなって
憂さ晴らししたい気持ちもわかんべ。
俺は釣りが大好きだったけど震災以来全然できなくなった、
自分の親族が流されて死んだ海で釣りはできないよ。
普通に暮らしたいだけなんだよ。
浪江ではお年寄りはみんな畑やったり野菜作ったり
生きがいがあった。
生きがいや日々のやりがいを奪われて何もやること無くなって
呆けた年寄りを看るのは本当大変だよ。
親戚でそういう人がいるけど、本当に大変なんだ。
3年前から時間が止まってるんだよ」


 

他にも色々と話した。僕が話したのは、
仮設住宅でも自治会役員として頑張ってる人の声だから
もっと色んな声があるんだろうけど、先週も福島に来て、
今回も先発隊として来て福島の人と交流できたから聞ける
(仲良くなったからこっちからも突っ込んで聞ける)
声がたくさんあると思った。
人の復興なんて全然進んでない。
それなのに原発再稼働、オリンピック、その他諸々。

仮設住宅の人の「俺たちはもう過去の人なんだべ」
という言葉が残ってる。

僕が来ている仮設住宅はあと3年で閉鎖される事が決まっている

ほとんどの人に行き先も居場所もみつかっていない。

「ここに来るまでに12回居場所が変わったよ」
と言う通り、また流浪の民になるんだろうか。








 

2万人が参加する。夏休みの一大イベント「親子工作教室」

  • 2014.07.29 Tuesday
  • 18:16
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毎日暑いです。。。夏ですね。猛暑です。

温度計もついに37度へ行きそうです。

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体温なら「ちょっと今日休んじゃおうかな」ってくらいの
ノリです。

この温度計、実はうちの自宅のではなくて(そりゃそうか)
学校の体育館のです。



川崎市内でトータル2万人が参加する、夏休みの一大イベント

親子工作教室です!


PTAのお父さんお母さんが主催となって、
材料の準備から、当日の助言や段取りまで
組合の強力なバックアップの

もとで行われます。

この日ばかりは、我々建設の仲間も
「もの作りの面白さを伝えよう」と
1日先生を務めます。

約1000人の技能者の1日先生が
楽しく、真剣に子どもたちと向き合います。

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規模の話をすると、
川崎市内、113校のうちの85校が開催。
川崎市内、7万人の小学生のうち約1万人が参加。
じつに、川崎市内の7人に1人の小学生が
参加をしています。

「子どもの頃に学校で工作やったよね」とか
「水鉄砲とか竹で作らなかった〜?」みたいな
会話も川崎市民の中では当たり前(?)の会話。
子ども時代に工作教室を体験した子が、大人になって
また先生になって工作教室に参加するなんてことも。
川崎の教育・文化を下支えする活動と言っても
過言じゃない!(言い過ぎか?)

木工作や竹馬づくり、竹水鉄砲、タイル絵の4つの中
からその子のやりたいものを選びます。

定番の木工作(定番だが上級生向けという
ハードルの高さもある面白さ)

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お父さんもこの日ばかりは「俺の出番じゃ」と
張り切ります。
しかし、ちょっと難しいところはやはり職人さんの
出番。

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この時の子どもたちの羨望のまなざしが、気持ちいい。

竹馬や水鉄砲も、初めて作るものばかりで難しい。

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作り終わった後は、やっぱ

こうなります。

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女子に人気が高いのが「タイル絵」
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わさわさと割れたタイルに群がります。
(いい色があるかな〜)

最近の小学生の芸術レベルは高く。

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一生懸命に板にタイルを貼っていくと・・・

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こういうのや
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こういう感じになります。
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なにはともあれ、今年も大きな怪我もなく、無事に
みんな楽しめて本当に良かった。

初めて一日先生になった青年部の仲間も

「普段は現場でがむしゃらに仕事するだけ
 こうやって子どもたちと触れ合えて、
 自分が役に立って、本当に楽しかった」

と「楽しかった」を連呼していました。


いま、若い入職者が少ない建設業界。

それでも、人の暮らしを支える衣食住のうちの

住まいを築いていることは

心から誇りの持てる仕事です。

赤ん坊からお年寄りまで、建設職人の仕事の

世話になっていない人は一人もいません。

もの作りというのは、それだけで

カッコイイ仕事なんだなぁと

感じる瞬間でした。

ここから未来の職人が生まれたら

うれしいなぁ。



















 

青年は、未来を信じ、未来に生きる。

  • 2014.06.17 Tuesday
  • 15:39
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こんにちは、まるとです。

梅雨入りしたというのに、なかなか雨が降りませんね〜。

梅雨の入りの時にドカンと降ったから

水不足とかは大丈夫なのかな。


さて、わが組合の青年部総会を6月7日(土)行いました。




2011年度に現在の青年部長が就任してから、部員を増やし

つづけ、50名を超える組織に成長してきた青年部。

それまでは居酒屋などで「飲み会の前座?」としての総会だったのを

昨年から組合事務所でまじめに行っています(ー_ー)!!


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今年は来賓の方もたくさん参加していただきました。
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今年の5月に組合長に就任した佐藤組合長。事務局長。
主婦会会長に主婦会担当事務局。


そして、神奈川県の青年部協議会から
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平塚県青協書記長

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松田県青協議長、県青協花井担当書記。

来賓がたくさんいらっしゃるとなると、

「おいおいうちの青年部員そんなに集まるか?

 来賓のほうが多いとかだとちょっと恥ずいぞ」

という風になり、始まるまではナーバスになっていた

僕でしたが、青年部員も来賓を超える人数が集まって

良かったよかった。


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「おい!左隅に青年っぽくない人がいるじゃんか!」



と思ったあなた。目がよろしい。






左スミの白髪の方は誰を隠そう大物ゲスト

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神奈川県建設連合国保の事務局長、傍島さんその人なのです。

総会の記念講演として、

「建設国保の歴史と現在の課題」


という、

これいじょう固くすることが難しいんじゃないかと
いう様な固いテーマで話していただきました。


でもね、話はすごくおもしろかった。


「青年の前で話すのは初めてなんですよ〜」と

最初は臆していた

そばちゃん(失礼!)傍島事務局長もだんだんと

のりにのって・・・

「どれくらい伝わるかなぁ」というこちらの心配をよそに

みんな本当に真剣に聞いていました。



終戦直後から建設組合は労務加配米制度で組合員を増やし、

その後も「労災保険の適用」「不当課税への反対運動」

「技能者の養成運動」などを続けて、仲間の要求の中から



「俺たち(建設労働者)にも健康保険を」



の声が国や行政を動かしてきたこと。

健康保険擬制適用廃止によって、

自分自身と仲間の権利がおびやかされた時、

「カラスが鳴かない日はあっても、

 国会前に建設労働者の声が

 響かない日はない」


と言われたほどの要求運動の中で、現在の建設国保組合を

勝ち取ってきた歴史を熱く語る傍島さんの思いを

みんなで受け止めました。

終わりに

 将来への展望はどこにあるのか。
 
 いまある、現実の中からつかみ出す。
 
 私たちが主体的にがんばってつくっていくもの。

 青年は、未来を信じ、未来に生きる


と傍島さんは話を締めくくりました。


青年部総会で決まった今期のスローガンです。












 

経済は、人の命や暮らしよりも優先されるものではない

  • 2014.05.26 Monday
  • 14:44
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こんにちは、まるとです。

たいそうなタイトルをつけてのブログ更新ですが、

大飯原発の差止め判決についてです。

みなさん、判決の要旨はもうお読みになりましたか?

ぼく達がいつも言ってきた事を、まとめてくれたような
素晴らしい判決でした。

感銘を受けたのは


経済活動の自由はひとの命や暮らしよりも劣位にある


という心が判決の根っこに貫かれている事です。

判決は、


「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は各
人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権で
あるということができる。人格権は憲法上の権利であり
(13条25条)
また、人の生命を基礎とするものであるがゆえに
我が国の法制化においては、これを超える価値を他に見
出すことはできない」

と言っています。

平たくいうと


「人の命はなによりも大事なんだよ」


という感じでしょうか。

あれ?これって普通に親から教わってきたようなこと
じゃない?
と思うようなことです。


ぼく達が闘っているアスベスト裁判をはじめ、

すべての公害にこうした憲法上の前提に立った

判決が下される事を心から望みます。



ここからは、ぼくなりにものすごく大雑把に判決を
まとめてみると

安全神話については、


「(被告は)万一にも事故が起こる可能性があって、

しかも戦争や天災とか抜かしたら原発事故ほど広範囲

で長く被害をもたらすものはないのに、楽観的な見解

示してんじゃねーよ」

被告の、電気代上げるぞという脅しには、

「たくさんの人の命や暮らしに関わる問題と、電気代

が高いか低いかを一緒にあつかうような議論に加わる

のも嫌だし、そんな議論に加わって判断を下すような

こと自体、うちらにとっては法的に許されないよ」

原発止まって天然ガスを買ってるから、国益が損なわ
れている。国富が喪失しているという被告の主張には、


「そもそも国富ってなに?豊かな土地に人が根を下ろ

して暮らしていることが『国富』なんであって、その

人々の暮らしが喪失されることが国富の喪失だろ。赤

字がどうのこうの言う事ではない」

被告の二酸化炭素を出さないんです〜という主張には

「福島原発事故は史上最大の環境汚染だろーが。環境

どうのこうのが原発維持の根拠になるなんて、

ものすごい筋違い」

と言っている感じが個人的にはします。

毒舌と言われるぼくですから、ちょっぴり毒舌な

表現になってるかもですが。。。


いま行われている、

再稼働に向けた原発の審査だって、「事故対応基準」で

すから。

事故がおきたときにどれだけ対応できるか、であって、

事故が起きることを前提にした基準です。

「事故が起こらない安全な基準」ではないわけですよ。



しかも、福島原発事故が起きた4日後の2011年3月

15日に、どれだけの職員が現場にいたかと言えば、

東電の管理職も含めた90%の職員がその場から逃げて

いて69人しか現場に残ってなかったと、つい最近朝日

新聞が報道してました。

(東電はその事実を3年間も隠していたんだけど)


逃げる人の気持ちはわかります。
ぼくだってきっと逃げたくなるもの。


問題は、どれだけ基準を作っても、いざ対応するのは現

場の人間であって、その現場の人間が、管理職も含めて

90%もいなくなる事を想定しての基準作りなんて不可

能だという事です。



忘れてはいけないのは、

福島原発事故の最悪のケースのシュミレーションでは、

横浜のほうまで人が住めなくなる(250キロ圏内)

ような事態が、原子力委員会の委員長によって

予想されていたということです。



原発は発電方法のひとつの手段でしかない。

多大なリスクを背負いながら核のゴミを将来に残して、

動かすようなものではないと思う。



それに、経済を豊かにしていくことが

本当に人々の「心からの豊かさ」になって

いくのでしょうか。


原発の様な巨大な発電所を田舎に作り、そこから都会

へ電気を送るというやりかたは、経済的に見たら

手っ取り早く、便利な側面もあるかもしれません。

でも、そこには犠牲となるものがたくさんあるのでは

ないでしょうか。

例えば事故を起こさなかったとしても。



そんな中で、ぼく達の住む川崎市の中でも

「市民の力で発電所を作ろう」という動きがあって、



原発ゼロ市民共同かわさき発電所というグループが


市民発電所の第1号機を元住吉に作ろうとしています。


確かに、原発が生み出す莫大な電気から比べれば小さな

エネルギーかも知れません。

市民発電所は大変です。多くの市民が集まって、

話し合い、決めないとならないし、

お金を出してくれる人や企業をみつけないといけません。

でも、そのことで生まれるコミュニティや

きずながあります。


人と人が出会う事で生まれる「心の豊かさ」だって、

無視できるようなものではないんじゃないでしょうか。


もともと、経済という言葉は


「経世済民(けいせいさいみん)」

『世を経め(おさめ)民を済う(すくう』

というのが語源です。

世のため、人のためというのがもともとの意味。

物やお金をどれだけもっているかという物質的な
豊かさの欲望は


実は


と〜〜っても不自由な縛りじゃないでしょうか。

物の豊かさや便利さを求める一辺倒ではなくって、
足るを知る、不便をあえて楽しむような


そんな暮らしはできないでしょうか。


誰かを傷つけるような便利さよりも


ちょっとぐらい不便な方が


みんな集まってくるし、


おもしろいと思うんだけど。



 

戦争から見る社会保障、税制、原発

  • 2014.04.25 Friday
  • 17:25
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「♪忙しい日々に〜追われながら〜♪」と、ついGLAYの

曲を口ずさんでしまうほどの忙しさ。。。

いやまだ口ずさんでいるうちは余裕があるか?

こんにちは、ブログ更新します。

組合でも関わっている中原区社保協
で6日に中原平和館で学習会をやりました。

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消費税をなくす中原の会の方たちと合同で31名参加。
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講演は根本 孔衛(よしえ)弁護士。
御年89才の大々ベテランの弁護士先生です。
いまや川崎市内最大の弁護士事務所となった
川崎合同法律事務所の創設者でございます。

日本国憲法を軸に日本の戦後整理の歴史や現在の
自民党の危険な改憲案の話など、分かりやすく、時に
専門的に難しく。。。話ていただきました。

しかし、僕はといえば、2才の娘を連れていたので、
その遊び相手で、ほとんど話を聞けず。
次回は絶対に保育を手配して預けられるようにしようと
固く誓ったのでした。

講演のあとは、リレートーク。このリレートークが
また秀逸でした。

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社会保障・税制・原発の歴史を『戦争』という切り口
から考えてみようという内容です。

「戦争と社会保障」を田中市社保協事務局長に
「戦争と税制」を中山税理士に
そして「戦争と原発」を僕が喋りました。

一つひとつのテーマに対して用意した時間は

わずか5分!

という極短の時間でしたので

「リレートークの時間が短かった」

「もっと聞きたかった」などの声が多数聞かれました。

戦争と原発についてのレジメを紹介します。


戦争と原発
 
【アメリカの核兵器戦略によって日本に持ち込まれた原発】
 
1952.10  米国防総省が「原子力の平和利用」に関する基本戦略を発表。
「"平和と繁栄を生む原子力”の方が"戦争を生む原子力”よりも世界に受け入れられやすい。
原子力が建設的に利用されれば、核兵器も受け入れやすくなるだろう。」(米国防総省機密文書より)
 
1953.3  米国家安全保障会議で核兵器の使用を
       正当化するための広報戦略が練られる

「現在の世界の世論の下では、我々は核兵器を使用できない。
その感情を緩和するため、あらゆる努力をするべきだ。」(米国家安全保障会議議事録より)

 
1953.8  ソ連がアメリカに先立ち水爆実験を成功させる。
ソ連がアメリカよりも先に水爆実験を成功させたことで、核開発で遅れをとる訳にいかないアメリカは「原子力の平和利用」と西側諸国に原子力技術を提供し、核配備につなげようとした。
 
1953.12  アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で「原子力の平和利用」の歴史的な演説
を行う。
原子力平和利用計画の一端として、『アメリカが同盟国に開示する原子力の情報』に「核兵器の戦略的活用」をあげている。
しかし、そのわずか3か月後に第5福竜丸の被ばく事件が発生する。
 
1954.3  アメリカのビキニ水爆実験によって第五福竜丸が被ばく
 
“1954.5”  東京杉並区の婦人団体などが原水爆禁止署名運動を開始する。
アメリカの国家安全保障委員会「日本人の核への過剰反応は今後の核戦略に支障をきたす。」
アメリカはビキニ実験の不法性を一切認めず、損害賠償ではなく「慰謝料」として200万ドルを支払った。日本政府はこれをすべての請求の完全な解決として受託した。
 
1955.1  アメリカ民主党のシドニー・イェーツ議員が広島に原発を作る決議案を議会に提出
イェーツ議員「世界初の原爆被災都市でこそ、原子力の平和利用を実現しよう。アメリカの援助で出来た原子炉は、われわれの技術と、善意の永遠の記念碑となるだろう」
「人類初の核兵器の被害者が、原子力の平和利用に賛成だとなれば、世界中に向かってこんなにいいプロパガンダはない」しかし、原爆投下10年のこの提案は強烈な反対で広島は断念。
 
1955.2  正力松太郎が衆議院議員に当選
 
“1955.8”第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催
“1955.9”原水爆禁止日本協議会(原水協)発足
原水爆禁止署名 日本で3238万筆 世界で6億7000万筆
 
アメリカ大使館の1955年2月のメモではこう記されている。
「報道の多くが懐疑的意見を載せている。核兵器と広島の原子炉が結びついている」
しかし、アメリカの宣伝工作によって次第に状況は変わっていく。
1955.11 東京で「原子力平和利用博覧会」が開催される。日米原子力協定締結
読売新聞とアメリカ大使館主催で行われた「博覧会」は全国11都市で260万人を集める。
1956.5に広島の「原爆資料館」でも、展示品を館外に移動して22日間開催された。
読売新聞や日本テレビなどマスメディアを使って原子力平和利用のすりこみ。
1955.12 原子力基本法が制定。三原則に「民主・自主・公開」
1963.10 東海村で日本初の原子力発電に成功。
1971 3 福島第1原発が営業運転開始
 
【潜在的核保有国の立場を保持する日本】
潜在的核保有国とは・・・日本はロケット技術があり、それは大陸間弾道ミサイルの技術と変わらない。原発の使用済核燃料を溶かして取り出した約45トンのプルトニウムがある。つまり、その気になれば、1年もあれば核兵器を作ってそれを飛ばすことができる国。
 1969年の「わが国の外交政策大綱」(2010年公開)には以下のような記述がある。
「わが国は今後といえども独力で国の安全に万全をきし難く(特に核抑止力)またわが国の安全と不可分な極東(とりわけ朝鮮半島)及び周辺海洋の安全については諸般の理由からわが国の力及び行動に制約が課せられているので、わが国の安全保障上集団安保体制が必要である
「核兵器についてはNPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する」
「わが国の安全保障が米国の核抑止力に依存するところが大である」
 
 アメリカの核の下で生きる為に、「原子力平和利用」で世界のアメリカへの反核感情を削り取っていくためにも、日本が潜在的核保有国としてのポテンシャルを保持するためにも原発建設は進められていった。
日本のこうした政策が現在も変わっていないことは以下の発言や新聞社説からも読み取れる。
2011.10.5 石破自民党幹事長(元防衛庁長官・防衛大臣)
 「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば作れる潜在的抑止力となっている。逆に言えば、原発をなくすということは、その潜在的抑止力も放棄することになる」
2011.9.7  読売新聞社説
「日本はプルトニウムを利用することが許されていて、日本の原発は潜在的な核抑止力となっている。だから、脱原発はしてはいけない」
 
結論として原発による「原子力平和利用」はその発案当初からも、現在においても根っからのウソ。2013年9月に全国の原発は止まって、現在国内には稼働中の原発は1基もない、ただの平和利用であれば、危険で不要、不完全で事故コストが膨大な原発からは撤退が一番。
しかし、4月3日に自公が了承したエネルギー基本計画案には「原子力は重要なベースロード電源」「核燃料サイクルは継続」とある。核燃料サイクルと原発は日本においてはセット。45トンのプルトニウムを発電に使うという口実が崩れれば、国際社会から軍事利用の疑念が持たれてプルトニウムを保持できなくなり「潜在的核保有国」としての立場を失う。そのため、福島の事故によって現時点の概算においても8.5兆円がかかっても、総額10兆円をもんじゅにつぎ込み捨てても、いまだに福島から14万人近くの国民が避難生活を送っていても、「戦争と原発」という観点からみるといまの日本政府は原発から手を引かない。
だが、広島に原発が作られようとしたときに世論の力によって退けたり、民主党政権時代だが政府が脱原発を表明したり、常に核を進めようとする力と反核の力関係の中で原発は推進されたり退けられてきた。反核、反戦の国民世論の力は常に核や戦争を進めようとする力への脅威となり続けている。原発の再稼働を進めようと政府と電力会社は強烈に押し進めているが、再稼働反対はいまだに圧倒的多数の国民の声であり、事故後3年間その声を国民的世論にする土台を、私たちは一所懸命に作ってきた。
核兵器のない世界に向けて、真に平和憲法がその力を発揮して輝く日本に向けて一緒にがんばりましょう。
 
以上。原発を戦争という側面から見たときに見えてくるものを自分なりに書きました。
もちろん、エネルギー問題や原子力ムラの利権の問題、雇用・地域の過疎化のことなど原発には様々な側面があります。原発を戦争から切り取ってみたひとつの切り口となればいいと思います。









 

原発ゼロ集会1200名の参加で開催

  • 2014.03.26 Wednesday
  • 11:03
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3月16日(日)に川崎市中原平和公園で

原発ゼロへのカウントダウンinかわさき集会
が行われました。

東京新聞に掲載されましたので、ご覧ください。

こちらのブログには動画も紹介していただきました。

YOUTUBEにもデモを短い動画紹介。

WEBで「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」で探す
といろいろ出てきて、楽しいです(笑)


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3年目となる今回は、2000名の参加を目標に取り組ん
で来ました。

しかし、内心はけっこう不安もあり。1年目に1600名、
2年目に1450名。。。
1000名以上集める(川崎市内でも行き辛い平和公園で)
のが当然となってきている様な大集会の性格の反面、
3年目の風化はすごい状態。

3年目にはどれだけ集まるのだろうか。。。風化はものすごく
進んでいる。。
ラゾーナ前で金曜日行動をやっても、集会の紹介ビラの
受け取りがすご~く少ない
(ビラの中身はすごく良くなってると思うのだが。。)

しかし、常連だけが集まるコアな「知る人ぞ知る」名店!
みたいな集会にはしたくない。
「一見さん大歓迎」の、楽しそうでつい寄ってしまう様な
そんな集会にしたい。


文化行事も、ゲストも、展示ブースや模擬店も(ビラも)
3回目にしてとても「いい感じ」になっている。
青年実行委員会の動きもある。

どーなんだ。いけるのか?いやダメか?

とか、モンモンとした思いを抱えての準備が進んだ。

でも、開き直った。

「この3回目の集会をやること自体が成功」
「1年間継続して市内にネットワークを作り、足場を固めて
準備してきた、その経過こそが大事」だと。

開き直ってからは「いま自分がやれる事を全力でやる」だけ。
というか、それしか出来ないし、それしかない。

三宅洋平の言う

「コンサートは前日と当日が一番チケットが売れる」に

うんうん、そうだ。最後までがんばろうと思ったのでした。



結果は、1000名を超える1200名の参加。
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しかも、
「昨年よりも人が多かった感じがする」
という声があちこちから聞こえる参加者の多さでした。

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建設青年の和太鼓集団「乱打夢(らんだむ」でも出演。

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参加者全員でのデモ行進も楽しかった(長かったけど)

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北部建職のコール隊長。気合が入ったコールすばらしかった!
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ジャンベやドラム隊、メガホンコール隊で「原発いらない!」
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ジェット風船も4000個も寄付してもらい、使いました~。



集会が終わって思うことは、

 風化することは仕方ないこと。
 時間の経過で忘れたい人だっている。
 でも、『忘れちゃダメだ。風化させない』という声や力も
 時間とともに 強くなっていくんだということ。
 その声を、大きく強く広めていくことが大事だと思う。

当日は、30も展示や模擬店のブースが出て、
テント設営から舞台づくりまで
本当にたくさんの人たちの準備によって行われました。
本当に感謝しています。一緒にまたがんばっていきましょう。

井上ひさしさんも言ってました。

むずかしいことを やさしく
やさしいことを  ふかく
ふかいことを   ゆかいに
ゆかいなことを  まじめに


どう考えたって現状は厳しいし、

今のところ政治の情勢は悪くなる一方。

そんな時だからこそ、楽しく、でも真剣に

がんばっていきましょう。











 

3・16原発ゼロへのカウントダウンinかわさき集会

  • 2014.03.07 Friday
  • 16:21
川崎中部建設労働組合の地図、詳細はこちら

3.16-フライヤー表面.jpg

 3・11後、原発がないと電気が足りなくなると電力会社は
言ってきましたが、いま稼働中の原発は1つもありません。
核のゴミの最終処分ができず、いちど事故を起こせば被害は
広く永くその影響を残す

『不必要であるうえに不完全で危険な製品』が

原発である事を私たちは身をもって経験してきました。


 しかし、国は「重要なベースロード電源」として多数の人の
意見を無視して、原発推進の姿勢です。
東電は、今年7月にも世界最大の柏崎刈羽原発の再稼働を
狙っています。安倍首相は、原発の営業マンよろしく、
原発輸出のため海外を訪問してまわっています。

いまだに終わらない原発事故を忘れる事は、
私たちにはできません。

今年で3度目となる集会には、
新潟の地元で反原発を掲げて活動する
「原発反対刈羽村を守る会」の高桑千恵さんや

脱原発をめざす首長会議の事務局長である。
上原公子元国立市長が参加します。

日本からの原発輸出を食い止めるために台湾で闘う青年を、
そして、福島のいまの声を私たちに伝えてくれるゲストを
迎えます。

東電の原発事故は地域を破壊し、人々によって育まれてきた

歴史や風土、普通の暮らしを根こそぎ奪い去ってしまいました。

あきらめずに、何度でも心に刻みましょう。

決めるのは私たち。「原発」やめるのか、それとも再開するのか。

決めるのは政治家や電力会社なんかじゃない。

いま、曲がり角にいる、私たち市民一人ひとり。

3月16日。はじめよう、原発ゼロへのカウントダウン。
3.16-フライヤー内面.jpg

二児の父へ

  • 2014.01.30 Thursday
  • 10:07
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たまには家族の事を、という事で近況です。


2013年11月2日。

1+1=2の日に次女が産まれてきました。

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秋の椛(もみじ)の季節に産まれてきた子に

椛菜音(かなね)という名前をつけました。

菜の花の様に、自身はちいさい花でも、みんなで集まって

大きな花をつくって欲しいと思っています。
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上の娘が2歳半になるのですが、妹がかわいくてしょうがない

様で、しょっちゅうチョッカイを出して泣かせては母親に怒られてます。



このお休みに動物園を

2軒ハシゴしてきました(^−^)

まずは、ズーラシア
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お馬さんは 「くれよ〜くれよ〜」と顔を必死で伸ばしているのに
恐くて手を前に出せません。
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何かを探して床のチップをひたすらかきわけるチンパンジーの
真似をしています。よーく見ると後ろの子も?

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2軒目は、こどもの国へ
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100メートル以上あるローラー滑り台をエンドレスで
乗りました。
途中から、前の生意気なお子様を大人の意地で
追っかけまわす追い上げを見せましたがからくも
逃げ切られ、残念だった〜。
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「小さいお馬さんは乗れるよ〜」とポニーに
ひとりで初乗馬。娘の成長に目じりが下がる父なのであった。
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今度の2月2日の日曜日のお出かけは、県主婦協が主催する

ファミリーフェスタです!

2月2日(日)11:00からスタートで、東神奈川から徒歩3分の

建設プラザのビルをまるごと家族で楽しめるワンダーランドに

してしまおう!というめっさ面白そうな企画。

「普段、子どもがやったら怒ってやらせられない様な事を
 
 思いっきりやらせてあげたい!」

という実行委員の主婦の方達の熱い思いが

つまったイベントを楽しみにしていま〜す。

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X’mas会で大はしゃぎ!

  • 2013.12.24 Tuesday
  • 15:58
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こんにちは、まるとです。

今年も本当に押し迫ってきました。年末の楽しみと言えば、

だんだんゴージャスになっていく街のイルミネーションや

自分が10代のころからあまり変わらない、クリスマスの選曲。

ワムとか山下達郎とか流れてくる曲が耳に入ると、

「ああ〜年末だなぁ」と無性に感じますね。


組合でも、主婦の会が主催してクリスマス会を開催しました。
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お料理教室メインとして取組んだクリスマス会のメニューは

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煮込みハンバーグ

本格風。


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ピンチョス
(チーズやソーセージ、うずらの卵などを
 串に刺したもの)


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手まり寿司

これ、美味しかった〜

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デザートにドーナツ。

チョコにきな粉に

白砂糖。




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子ども達は、ピンチョス係り。
ひとつ串に刺すたびに『できた〜!』と大はしゃぎ!

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みんなで作ると楽しいね。

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みんなで食べると美味しいね〜。



そして・・・


「せえの。 サンタさーん!」

の掛け声とともに


お待ちかねのサンタさんが登場!




しかし・・・


手塚トナカイが、かぶる、かぶる。
P1020527.JPG


主役の座をトナカイに奪われて、存在感が薄いサンタでした
P1020531.JPG

でも、子ども達は本当に楽しそう&嬉しそうでした。

うちの娘も、家に帰ってから

「せえの! サンタさーん!!」と家のいたるところに呼び掛けていました。



最後に、サンタクロースよりも存在感があるトナカイの

出待ち。。。

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「お〜い、サンタ早く着換えろよ〜!」

 このクオリティの低い、完成度の欠片もないトナカイを、うちの娘は
  
 「トナカイさんいたね〜、おじさんトナカイさんいたね〜」
 
 と喜んでいたという・・・。素直や。

なんだかんだ言って、来年もまた参加したいなと思える

楽しいクリスマス会でした。



建設労組青年部の太鼓グループが【ついに命名】

  • 2013.11.26 Tuesday
  • 16:56
 川崎中部建設労働組合の地図、詳細はこちら

こんにちは、まるとです。

今回は、僕たち建設労組の青年部で取組んでいる「和太鼓」について
の記事です。

いま現在、川崎中部建設労働組合はじめ、川崎建設一般労働組合、
神奈川土建横浜支部、そして建設横浜青年部からも有志が集まって
和太鼓のグループを作っています。
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先日、ついにこのグループに名前がつきました。

あらゆる出演も取材も「建設労組青年部です」で通していたこの

グループについに名前がついた。

その理由は、


「練習後にいつも行く焼肉屋で、
        ボトルキープのために名前が必要になったから」


という。。。しょうもないというか。。いかにも建設青年らしい理由です。





命名 『乱打夢』 



『らんだむ』と読みます。ヤンキーっぽいにおいがしてきますが、

命名者の平塚さん曰く



 
「夢を打つんだよ〜!」


他にもいろいろと言っていましたが酔っ払ってて覚えてません(-_-メ)

とにかく、熱く!青年の思いと夢を太鼓に打ち込んでやろう!

しかも、乱れながら!という感じです。
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2009年に始まった青年部の太鼓。

最初は、のむぎ平和太鼓の力をかなり借りながらのスタートでした。

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2009年7月に行ったのむぎの夏祭りでの演奏。

ブルーハーツの梶原さんと初のセッションだった。IMG_1079.jpgお知らせ.jpg


2009年9月の市長選挙では、決起集会のオープニングを務めました。


その後も横須賀ヴェルニー公園での、原子力空母母港化反対集会や

一番大きかったのは2011年の建設フェスタ。
15000人が来場。
この時のオープニングを神奈川土建横浜支部のみなさんがつとめ、
中部建設では午後からドラムとのセッションで出演しました。

この縁で、一緒にスタジオ入りだしました。
そして、新たな仲間が加わりました。


2009年から4年後の今年、2013年の川崎市長選挙の
決起集会では、メンバーも増えて演奏することができました。





福島の復興支援仮設住宅デーでの演奏。

仮設住宅に太鼓の音が響き渡っていました。
寄ってきた子どもたちに、急きょ太鼓を教えて一緒に叩きました。



いろんな建設組合の枠を超えて拡がっている、この太鼓の輪。

楽しく、本気でがんばっています。

「建設労働組合という枠にもこだわらなくていいかな〜」と最近

個人的に考えています。。。

他の民主団体の若手に声をかけようかな〜と。


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