8月、平和のつどいを開催しました

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 11:13

川崎市中原区の建設組合 中部建設組合の詳細はコチラ

 

9月に入って急に秋めいてきたなと感じる今日この頃です。

 

8月は酷暑でもありましたが、雨が多かったのでなんとなく

 

『残暑厳しくなるのだろうな』と思っていましたが、予想に反して

 

9月に入った途端に秋の風が心地よいですね。

 

昔は『今日30度超えるらしいぞ!』と大騒ぎだったのが、

 

最近は簡単に35度を超えてくるので、

 

真夏は本当に国外逃亡したくなります。

 

しかし、秋になったら(雨さえ降らなきゃ)涼しい風が心地よく

 

日本の秋は世界一だな〜と思ったりします。

 

8月はヒロシマ・ナガサキがあって、終戦というか敗戦というか

 

記念日が15日にあります。

 

ただ、この終戦(敗戦)記念日というのも、日本が降伏文書に調印した

 

9月2日の方を、

 

「本当に戦争終結した日」と捉えるべきだという声もあります。

 

戦争は相手がいないと出来ないので、

 

お互いに「もう辞めようや」となったのが

 

9月2日のミズーリの上で調印だから、結構説得力あります。

 

日本は8月15日に「もう無理!」と天皇がラジオで発表したので、

 

多くの国民(当時は臣民ですが)にとったら「終わったー!」と

 

悲喜こもごもになったのは9月2日でなく、

 

8月15日なので8月15日を

 

「終戦記念日」とするのも自然な気がします。

 

今も僕たちが「あれから何年だな」

 

と戦後を数えるのは1945年8月15日を起点としているので。

 

 

 

日本の国体(天皇制)護持を考えてきた人たちから見れば、

 

9月2日だと降伏文書に調印「させられてる」感じが出まくるので

 

非常に都合が悪いというのもあったのでしょう。

 

あくまで国体である天皇が主体的に戦争を「終結させた」という方が

 

なにかと都合が良かったのだろう。

 

 

とにかく、8月になると広島や長崎に原爆が落とされた事を思い起こし、

 

酷い戦争をやったことを思い起こし、全国で平和を祈念します。

 

テレビや新聞でも戦後や戦争を特集して、

 

全国的に8月初旬から中旬にかけて戦争や平和について考え、

 

祈るという時期ですね。

 

毎年こういう時期があって全国的に平和や戦争についての情報があふれる

 

というのは、実は結構大事なことなのではないかなと思います。

 

 

 

8月じゃないけど一昨日やっていた

 

NHKスペシャルの「沖縄と核」という番組は素晴らしかったです。

 

アメリカの喉元のキューバにロシアがこっそりと核を置いていた様に、

 

ロシアや中国の喉元の沖縄に1300発もの!!核を配備して、

 

あわや那覇が無くなるかというような

 

事故まで起こしていたということが報道されていました。

 

日本は一貫してずーっと、

 

沖縄を本土に都合がいいように使ってきたんだなと

 

いう事がよく分かりました。

 

 

 

季節のあいさつから脱線しまくり、もはや線さえ見えなくなってきましたが

 

毎年、僕たちの組合の加盟連合会である

 

川崎建設労連が開催する平和のつどいに

 

ついて今日は記そうと思って、ブラウザを立ち上げたのでした。

 

今年の平和のつどいには、

 

神奈川土建逗子葉山支部の委員長の眞喜志(まきし)さんと

 

いう方に来ていただき、戦争体験を語っていただきました。

 

眞喜志さんは、ご高齢ながらも土建組合の活動を精力的にされていて、

 

お会いすると、いつでもとても丁寧に相たいしてくださる方です。

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が浮かんでくるとても素敵な

 

方です。

 

今年の神県連大会の平和分科会で眞喜志さんの戦争時の体験を聞かせて

 

いただき、ぜひ時間をとってお話を聞きたいし、みんなにも聞いて欲しい

 

と思っていたので、今回平和のつどいにご参加いただけるようになり

 

とても嬉しく思いました。

 

 

沖縄出身の眞喜志さんは、戦争中はサイパンへ家族で移住していました

 

沖縄(琉球王朝)は明治政府や薩摩に富を奪われ、とても貧しく

 

多くの沖縄県民が生活のかてを求めてサイパンへ移住していました。

 

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「サイパン島について」

日本が統治を始めたのは1922年頃(中略)

1941年(昭和16年)のサイパンの日本人数は約48,000人

1943年〜44年にかけては女性や子どもたち、65歳以上の男性に強制引上げが

命令されたが、時はすでにおそく引上げ船は次々と潜水艦に沈められたため、

この命令は早々に打ち切られ島には約22,000人の一般人が取り残された。

 1943年9月、大本営は絶対国防圏を設定し、サイパン島は最前線の重要拠点と

なっていた。軍は、44年5月から第31軍と海軍第5根拠地帯を配備し、

陸海軍43,000人の兵を北部地区、海軍地区、中部地区、南部地区に分けて

投入した。

 米軍はサイパン島への本格的な攻撃を44年6月11日、180機の空爆で始めた。

翌日には480機、翌々日には艦砲射撃が加わり、14日までの4日間で3,500t

の爆撃が投下された。15日に上陸、激しい地上戦が始まった。日本軍は局地的な

攻撃に終始し、米軍の圧倒的な戦力の前に敗退を続け、住民を巻き込む悲惨な

戦いとなっていった。

 島の北部に追い詰められた7月6日、日本軍の最高指揮官ら3人が自決し、7日の

「バンザイ突撃」といわれる最後の攻撃で実質的な戦闘は終わった。

 サイパン島の悲劇は日本軍の「玉砕」だけにとどまることはなかった。

孤島と化し逃げ場のない小さな島では一般住民もたちまち戦場に

巻き込まれてしまった。洞窟に隠れて飲まず食わずの生活が続いた。

ついには小便や海水まで飲んだ。苦しがって子どもが泣き出すと日本兵が家族の前で

虐殺した。手りゅう弾を持っている者は家族で「自決」した。

断崖から身を投げて全滅する家族もあった。マッピ岬のパナデル海岸には

一家全滅の死体が散乱していた。

一般住民は両軍の谷間に追いつめられ、そこに地獄絵が繰り広げられたのである。

   

(引用 池宮城けい 2016 『おばあちゃんのバンザイ岬』巻末資料) 

 

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サイパンが戦地となった当時、眞喜志さんは1歳半で、

 

生後1か月ほどの妹さんがいたそうです。

 

親は子どもたちを連れて逃げ回りました。

 

壕に入ろうとしたが壕の中には日本軍がいっぱいいた。

 

子どもが泣いて敵に見つかることを恐れた軍隊は

 

「壕に入りたいなら子どもを殺してから来い」

 

と言って入れてくれなかった。

 

 

食べるものも無く逃げ回り、

 

とうとう50メートルはあろうかという高さの崖から

 

飛び込むしかないというところまでいった。しかし、いざとなったら

 

人間そうそう死ねるものではない。崖の上にいたところを敵につかまり

 

捕虜になった。生き残ったのが奇跡だと思える。

 

 

 

引上げ船で着いたのが浦賀港(三浦)だった。

 

沖縄には帰れない。(逗子に難民キャンプのようなものがあり)

 

逗子に住み着くことになった。

 

戦後は、差別と貧困との闘いだった。

 

どこに行っても『沖縄・朝鮮お断り』の張り紙がある

 

仕事がない。

 

父親は貧しい中でがむしゃらに働いて、46歳で亡くなった。

 

父の葬儀の時の叔父の言葉が忘れられない。

 

「チキショー兄貴は戦争と貧乏に殺されたんだ!」

 

一晩中泣いていた。

 

 

 

いま、軍靴の音が聞こえる様な時代になっている。

 

日本は、唯一の戦争での被ばく国なのに核兵器禁止条約の採択に

 

欠席をした。国連の日本の席には折り鶴が置かれ、

 

「ここにあなたがいてくれたなら」と書かれていたそうだ。

 

『こんな国でいいのか!?』

 

こんな国でいいのか、と思う。

 

 

 

眞喜志さんは30分ほど体験を語られました。

 

とてもまとめ切れないのですが、静かな語り口の中に多くの

 

思いを感じました。

 

「政治の一番の仕事は戦争を起こさない事だ」と言われます。

 

相手が不条理だ、向こうが悪い!とこちらがどんなに思ったとしても、

 

対話で解決ができなければ、後はドンパチやるしかなくなってしまいます。

 

ドンパチやった時に、犠牲になるのは私たち庶民です。

 

つい最近読んだもので、「熱狂的になる事が一番危ういことだ」

 

とありました。国民が熱狂的になってしまいヒートアップしていくことで、

 

敵対関係をどんどん深めていってしまうのだろうと思います。

 

 

 

極限まで敵対関係が深化した時に必要なのは、母性や教養だと

 

磯田道史さんが言ってました。

 

 

例え敵対しても、絶対に対話で解決をしていくんだという決意が

 

必要なのだと思います。

 

簡単ではないだろうけど、

 

「みんな地球の子どもじゃん」と言えるような、お互いを尊重しあう

 

ような教養を身に着けていくことが、これからの子どもたちにも

 

私たち大人にも必要な学びなんだろうなと思いました。

 

 

長崎で行われた原水爆禁止世界大会に、組合から青年部長が

 

家族で参加しました。

 

小学6年生の娘さんがこんな感想を記してくれました。

 

「どうしてこんなことが起こってしまったのだろうか、

 

 どうしたらもう二度と同じことが起きなくなるのだろうか」

 

 

 

 

どこの時点で止めることができたのだろうか。

 

どこでどうすれば、こんなことが起きないで済んだのだろうか。

 

残された歴史の中には、その答えが隠れています。

 

その答えを見つけ出すことが学びなのかもと思いました。

対市交渉での成果

  • 2017.08.07 Monday
  • 17:22

川崎市中原区の建設組合 中部建設組合の詳細はコチラ

 

8月3日と4日の二日間に渡って、組合(市建設協議会)

と川崎市との平成30年度予算に関わる意見交換(対市交渉)

を行いました。

 

組合側は両日とも50名近くが参加しました。

毎年、経済労働局が事務局となってくれ、市の各部局の

担当の方々が来て話し合いを持っています。

まるまる二日間に亘っての行政との意見交換の場は貴重です。

 今年から、かねてより組合側が求めていた

「文章による事前回答案の提出」がなされましたので、

今までの「文書回答がないまま市側の口頭回答を延々と聞く」

という時間を省くことができ、効率的な意見交換をする

時間が確保されたことは大きな成果です。

 

さらに、事前に文書回答を得た事で、市側の回答と参考資料

の中での明らかな間違いを指摘することができました。

工事契約に関わる禁止事項の建設国保の取り扱いについて

でしたが、「訂正した文章を組合から出してください」

と行政文書の間違いを是正させる成果に結び付きそうです。

 

僕が要請書の作成を担当した『市民文化局』と『子ども未来局』

には、様々な要望を市側に提起しました。

 

核兵器禁止のヒバクシャ署名への市長の署名を要望。

 

他都市の署名状況を注視して検討するとした川崎市の回答に

「他都市の動向を見る必要があるのか、例え見たとしても

 政令指定都市20市中半分以上の11市長が署名している」

ことを示して、署名を迫りました。

 

待機(保留)児童の解消や保育の質の課題

園庭が無い保育園が240園もある(514園中)

タワーマンションが林立する小杉では、

受け入れ可能数6人に対して217人の申請がある

園もある、それが特別ではない状態にある。

 

 

 

 

他にもいろいろと等々力プールの問題とか小児医療とか

ローカルの問題から全市的な課題までやりました。

時間をかけて、まとめてまたUPしたいと思います。

 

 

 

福島仮設住宅での復興支援に行ってきました。

  • 2016.08.22 Monday
  • 11:05

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8月21日(日)に5回目となる福島県二本松市にある

 

仮設住宅への復興支援に行ってきました。

 3年目の復興支援の記事はこちら

 

2011年の3,11からもう5年が経過したのだと改めて

思います。5年も経って「仮設」住宅に住み続けている様な

状況をうんでしまうのが、原発事故なのだと。

 

今回の復興支援では、いつものお祭り的な要素に加えて、前回

から始めて大好評だった、エアコンフィルターと換気扇の掃除

ボランティアも行いました。

お年寄りの一人暮らしが多い仮設住宅では、非常に喜ばれます。

 

 

前日の20日(土)の夜から建設プラザに集まり、2階のホールで

みんなで雑魚寝して当日の早朝3:30から荷物をバスに積み込んで

一路福島へ。いつもの通り、強行軍です。

 

 

台風が心配されましたが、当日はものすごい晴れ!

ものすごい晴れで、暑さがハンパじゃなかったです。

 

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男2人で並んで何やってるのか、パッと見ギョッとしますが

焼き鳥焼いています。

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はい、熱いです。ものすごく。

 

 

かき氷は、猛暑だったので大人気。

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福島大学の学生さん達がボランティアで

来てくれて、本当に助かりました。

出店は、太鼓のメンバーたちがほとんどまかなったのですが、

 

予想以上の暑さとアスファルトの照り返しに太鼓を叩いた

メンバーは熱中症寸前で、出演後はエアコンの効いた部屋に

30分間 ドァワーッ!と横にならざるおえなかったので、

学生たちほんと助かった。

テントも貸してくれて、まじありがとう!

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仮設のみなさんが毎年楽しみにしてくれている、包丁とぎ。

大工が研ぐと、本当に切れるようになります。

急きょ頼まれた、まな板削りも、にこやかに(?)引き受ける

吉満住対部長(先輩からの『お前やれ』の一言が効いたか)

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仮設住宅の方からは

『毎年来てくれて本当にありがたいです〜。

年寄りはこういうことでもないと部屋から出てこないから、

住民のコミュニケーションの場にもなるし本当にありがとう』

と感謝の言葉をいただきました。

 

そんで、太鼓です。乱打夢(らんだむ)と新たに復興支援の実行委員長

建設横浜の菊池さんも入って、

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総勢16名で演奏してきました

 

16人って、結構な数です。乱打夢としては初となる大所帯での

演奏。4曲を披露してきました。

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太鼓に「はまった」中部の青年部書記長の佐々木さん。

乱打夢メンバーになって、まだ間もないのに3曲に出演!

現場でも一生懸命、休憩時間に練習してこの日を迎えたそうです。

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みんなで掛け声合わせて盛り上げます。

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乱打夢としては、

これから10月末までに5週続けて、老人ホームでの

慰問出演や、結婚式披露宴、お祭り、全国学習交流集会

などに出演をしていきます。

今年は忙しい秋になりそうです。

 

 

そんで、最後の方は、またまた今年もくらっていました。

土建青年部長の濱村さん。

ちょうどこの時期が誕生日なので、なんか恒例行事のようになっている

パイ投げでなく、ケーキ顔面塗り込み。

帰りの安達太良サービスエリアでも『まだ生クリームの臭いがとれない』

って言っていました。

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こういう馬鹿ができる仲間って素敵だなぁ・・・(ということにしておく)

 

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本当に暑かったけども、仮設住宅のみなさんに笑顔があふれて、青年も

より一層団結を深めて、すごくいい取り組みになりました

 

実行委員長の菊池さんの最後の涙のあいさつには、こちらもウルウル

感動したし、最初からずっと作り上げてきた平塚松田コンビには

本当にリスペクトの思いでいっぱいです。

 

 

5年を過ぎて、いまもなお復興(元通りへの復興)など全然見えてない

というのが実感ではないでしょうか。そこに横たわるのは原発事故

だったり、今もなお原発を推し進めようとする(被害を過少化する)

力の流れだったりします。

 

人と人との関わりを絆と呼ぶのであれば、間違いなく仮設住宅の

人たちと絆を結んできた5年間でした。

 

僕たちができることが、これからなにがあるのか。

 

 

絆を結んだ仮設住宅の人たちの、生業や生きがいを壊されて

ある人は仕事を探しても「仮設住宅だから」とみつからない、

ある人は5歳になる我が子に「(自分の知る)美しい故郷での暮らしを

伝えられない」と嘆く。

 

みんな、どっこい生きている。

 

だけども、住み続ける権利、働く権利、いろんな人権を蹂躙されて

仮設住宅に住まわされている(しかも5年も)

 

被害者が僕たちの目の前にいるのに、新たな被害をうむ可能性がある

原発を国はどんどんと再稼働させていく。

 

原発はエネルギー問題じゃない。人権の問題なんだ。

 

と、じわじわとまた思いがこみ上げてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり楽しい!ボウリング大会

  • 2016.02.12 Friday
  • 17:18
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組合では、毎年50名以上が参加する支部で対抗

ボウリング大会を開いています。

ここ数年は親子連れもたくさん参加する人気行事です。

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僕自身は、ここ最近はボウリング場からめっきり足が離

れてて、年末の事務局対抗ボウリングとこの組合での

ボウリングの時に投げるくらい。

ちなみに100超えると喜ぶレベルです((+_+))。

「今年は誰が優勝するかなぁ」と、昨年のチャンピオン

山口くんのことをマーク。

チャンピオンの景品が2年連続で

ホームベーカリーなので

今年も彼がホームベーカリーを持ちかえるのか!?
(親がケーキ屋さんなのに!)

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と思っていたけど、優勝は小杉支部の青年部員の
お母さんでした。

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素敵な笑顔です。ちなみに親子そっくりです。

小さい子どもも楽しめるのがボウリングのいいところ。

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投げて

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倒して

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ハイタッーチ!

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のんびりアイスを食べてみているかたわら、、、

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「ゲー!大失敗っ」の組合長。

支部対抗なのでチームごとに優勝がもらえます。

(たとえ自分が大失敗しても、、、)チームが強ければ

しっかり豪華賞品を持ち変えれます!

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賞品をもらっている右の人よりも、なぜかとても嬉しそ
うな書記長(左)。

人の喜びをこんなに嬉しがれるなんて素敵っす。

毎年2月の頭の日曜日に行っているボウリング大会

みんなが仲が良く、家庭的な雰囲気の組合なので、

初めての人でも自然と溶け込みやすいと思います。

ぜひ、支部対抗ボウリング大会にご参加ください!









 

おやじの太鼓コンサートに行ってきました。

  • 2015.12.01 Tuesday
  • 13:06
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川崎太鼓仲間「響」代表の玉田さんに誘われて、「おやじの太鼓コンサート」

に行ってきました。


僕に太鼓を教えてくれた人たちの師匠なので、僕は孫弟子になりますか。

(僕が教えている乱打夢の人たちは玉田さ
んのひ孫弟子ですね)

「普段は若者や女性たちの影で脇役をつとめるオヤジ達、
今回はオヤジ達が主役だ!」
ということで、一月くらい前から、この日の来るのをとても楽しみにしていました。 


観た感想は、すごーく楽しかった。自分の叩ける太鼓の曲でも「見せ方」というか、

ユニークな企画力と演出力は、流石はオヤジ!だてに年食ってない!勉強になりました。

今回は川崎市内の8つの太鼓グループのオヤジが集まってのコンサートでしたが、

それぞれのグループで演出をやってるんだろうなぁと勝手に想像したり。

「震災復興を目指す和太鼓実行委員会」として、みなさんが集まってきていたからの
コンサートなんだろうなぁと思いました。


組合では、青年部の有志で来年の1月に行われる川連60周年記念式典に向けて

和太鼓の練習を開始しました。

おやじ達に負けない様に、がんばります!

算定基礎学習会開催です

  • 2015.05.11 Monday
  • 10:56
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社会保険加入を新たにされた事業所さんが多い中で

社会保険の保険料算定基礎の学習会が行われます。

参加希望の方は組合までご連絡ください。

中原区で市民発電1号機が通電しました。

  • 2015.02.03 Tuesday
  • 10:28
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川崎市中原区のブレーメン商店街から少し入ったマンションの屋上に

原発ゼロを目指す再生可能エネルギーの普及第1号機が完成しました。

この発電機は「原発ゼロ市民共同かわさき発電所」が昨年から

準備を進めて、この2月1日にいよいよ通電したものです。

原発ゼロや脱原発を真正面から掲げた発電所ができるのは全国でも初のこと。

原発体制へのアンチテーゼとしての存在価値も大きいと思います。



現場近くの国際交流センターで通電式が100名以上の参加で

盛大に開催されました。


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記念講演として、地元川崎のふじさきクリニック所長の竹内医師
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かまぼこでお馴染みの「鈴廣」副社長であり
(一社)エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議代表理事の
鈴木悌助さん


多摩電力合同会社の大木 貞嗣さん
の3名がお話しされました。



原発ゼロ市民共同かわさき発電所のメンバーは当日大忙しそうでしたが
発電所との中継で、産まれたての電気を使ってハワイアンの演奏を
会場と発電所の中継しました。

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選挙ステッカーという物

  • 2014.12.01 Monday
  • 18:25
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巷には選挙ステッカーというものが溢れている。
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有名無名を問わず、漫画家さんが著作権を放棄している
「とにかく選挙行こう」というイラストである。

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みんなでセリフをつけて遊んでみたらいいと思う。

例題
「どの政党に入れたら分からね〜だ!?」

今の日本じゃ子どもの6人に1人は貧困だという統計
があるんだぜ。

異次元の金融緩和で、世の中にバブル絶頂の頃の6倍
も銭がまわってるのにだ。

アベノミクスの餌がほとんど大企業と大金持ちの
内臓脂肪になってんだよ。

働いてる若けぇのがワーキングプアで、
働いてねーお偉いさんがジャブ
ジャブ儲かるなんて
御上のやり方はおかしいだろ。

「働かざる者食うべからず」が基本だろ〜。

「どの政党が言ってることが自分の気持ちに近いか」

ぐらい見極められる大人になれや。

まずは・・・
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これも面白い。
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なぜごめん戦隊なのか、なぜゴメンジャーなのか
そしてなぜネクストなのか。
謎は深まるばかりだ。
 
投票する基準(自分にとっての争点)は、
別に「何かをやってほしい!」みたいにポジティブな
選択の仕方でなくてもいいと思う。

「戦争は絶対嫌だ」とか「消費税増税は厳しい」とか
「何かはやってほしくない」というネガティブな選択の
仕方でもいい。

自分が政治にやってほしい事は分からなくても、
やってほしくない事は以外に出てくるんじゃないだろうか。

投票に行くのに、誰に入れていいかわからないから白票で
なんていうのは、やっぱりちょっと大人として情けない。

安倍政権がいま進めようとしている政治は、僕の目から
見たら本当に暴走ばかり。

そんな暴走する政治への対抗馬を選べばいいんだよ。

いるでしょ。いいのが。

さあ!

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福島の仮設住宅で盆踊り

  • 2014.09.24 Wednesday
  • 14:58
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県青協(神奈川県建設労連青年部協議会)が
主催して、福島県の安達運動場仮設住宅のみなさんと
盆踊りを開催してきました。

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今年で3回目となる仮設住宅への支援活動。

「浪江にいたころみたいに盆踊りをやりたい」
という仮設住宅のみなさんの声を形に。

仮設住宅自治会のみなさんと一緒に
福島をはじめ、山形からなど全国各地の建設青年が集まって
「浪江と神奈川の絆祭り」を作ってきました。


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建設労連の主婦の会の方たちも一緒に、商工会や自治会、
県青協のメンバーが生演奏で奏でる相馬盆歌に合わせて
踊りました。

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昼間は模擬店を出したり、
20メートル近く竹をつなげて超ロングの流しソーメンも。
子どもたちも大喜びでした。


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中部建設から参加した青年部員は包丁研ぎの受付がかり。
昨年も大盛況だった包丁研ぎ。「今年もお願いね」と
みなさんが持ってきます。大忙しでした。


絆祭りの翌日は、特別に浪江町の中にバスで入りました。

帰還困難区域をバスは走っていきます。

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この大型バスを借りるのにも、苦労が。
子どもたちも使う大型観光バスは、走行履歴が特に問題に。
「帰還困難区域を走る」ことによる被ばくが原因でバス会社は
なかなか貸してくれません(当然というば当然)
私たちの趣旨を理解してようやくバスを貸してくれるバス会社が
見つかり、中に入ることができたのでした。

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「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板が。
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なんでも無い風景に見えますが、線量はバスの中でさえ
川崎の除染基準の50倍以上。川崎だったら市の職員が
すっ飛んでくる線量です。

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今は誰も住めないまち。

帰還困難区域を通って、避難指示解除準備区域へ
地震と津波の被害が大きくいまも残っています。
まるであれから時間が止まったよう。
時間を止まった「まま」にしているのは原発事故のせい。
「原発さえ無ければ」という言葉が実態として目の前に
現れる。

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絆祭りの前日に仮設住宅の人たちと交流した時に自分が感じたこと
 

福島の仮設住宅の自治会のみなさんと一緒に飲んだ。
一緒に飲むのは2回目。
色んな話を聞く。
原発で働いていた人ももちろんいるし、
3.11の時に原発のトレンチにいた人、
休憩所でタバコ吸ってた人も。
普通なら20分で帰れる道を4時間かかったと。

いま大変なのは「仕事が無いこと」人にとって、
仕事は生きがいだったり日々のやりがいだったり必要なもの、
それを奪われたままなこと。


(仮設に暮らす人全部では無いんだろうけど)
雇ってもらえない。

補償金をもらっていて暮らしを補償されてる事や、
雇う側からの「余所者意識」や「いつまでいるの?」という
意識など色んな要因で仕事が与えてもらえていない。
面接を受けても仮設住宅ということで落とされる。


仮設住宅の周りの地域住民にもある
「いつまでいるの?」意識
(そういった声が仮設住宅に暮らす人に聞こえてくる)
元々は運動場として地域の人が使っていた場所だから、
そういう声がごく一部でだろうが上がってくる。

明日の祭りのタイトルも「浪江と神奈川の絆祭り」
でなくて「浪江と福島の絆祭り」にしてくれたら、
近所のスーパーにも貼ったりできたと言われた
(仮設住宅の自治会長が考えたタイトルなんだけど)

仮設住宅に暮らす人と地域にもとから暮らす人との溝を埋めたい。
そういう意味で、地域ぐるみのお祭りが必要だし
改めて今回の祭りの取り組みは素晴らしいと思った。


今回の盆踊りは、
テントから何から仮設住宅の自治会主体で動いていて、
大変だけどみんなで作り上げるものがある。
そこが重要だし、もし地域の人ともそれができたら本当にいいと思う。

 

学校でも
「浪江の子が悪くなると世間のあたりが厳しい」
「他の地域には悪くてぐれてる子はいないのかよ」
と言いたくなる。
「子ども達の方がよっぽど素直なのかも知れない、
俺たち大人もぐれたい様な状況で、
でも大人だからガマンしてしまってる」
安達仮設住宅に暮らす子ども達は、みんなで通う学校が違う。



3年目の仮設住宅でのいま

「この暮らしに慣れてきてることが恐ろしい事だ」

と言ってた(そうだよなー)


僕の方から

「補償金もらってパチンコ行って遊んでるみたいな声あるけどどう思う?」
と聞いてみた(飲んでないと聞けないな)

 

「俺たちは普通に暮らしたいだけなんだ。
俺たちが何か悪いことをしてこんな暮らしになってるなら
まだ納得できる、でもそうじゃない。
仕事も生きがいも奪われてなんもやること無くなって
憂さ晴らししたい気持ちもわかんべ。
俺は釣りが大好きだったけど震災以来全然できなくなった、
自分の親族が流されて死んだ海で釣りはできないよ。
普通に暮らしたいだけなんだよ。
浪江ではお年寄りはみんな畑やったり野菜作ったり
生きがいがあった。
生きがいや日々のやりがいを奪われて何もやること無くなって
呆けた年寄りを看るのは本当大変だよ。
親戚でそういう人がいるけど、本当に大変なんだ。
3年前から時間が止まってるんだよ」


 

他にも色々と話した。僕が話したのは、
仮設住宅でも自治会役員として頑張ってる人の声だから
もっと色んな声があるんだろうけど、先週も福島に来て、
今回も先発隊として来て福島の人と交流できたから聞ける
(仲良くなったからこっちからも突っ込んで聞ける)
声がたくさんあると思った。
人の復興なんて全然進んでない。
それなのに原発再稼働、オリンピック、その他諸々。

仮設住宅の人の「俺たちはもう過去の人なんだべ」
という言葉が残ってる。

僕が来ている仮設住宅はあと3年で閉鎖される事が決まっている

ほとんどの人に行き先も居場所もみつかっていない。

「ここに来るまでに12回居場所が変わったよ」
と言う通り、また流浪の民になるんだろうか。








 

2万人が参加する。夏休みの一大イベント「親子工作教室」

  • 2014.07.29 Tuesday
  • 18:16
川崎中部建設労働組合の地図・詳細はこちら

毎日暑いです。。。夏ですね。猛暑です。

温度計もついに37度へ行きそうです。

DSC_4927.JPG
体温なら「ちょっと今日休んじゃおうかな」ってくらいの
ノリです。

この温度計、実はうちの自宅のではなくて(そりゃそうか)
学校の体育館のです。



川崎市内でトータル2万人が参加する、夏休みの一大イベント

親子工作教室です!


PTAのお父さんお母さんが主催となって、
材料の準備から、当日の助言や段取りまで
組合の強力なバックアップの

もとで行われます。

この日ばかりは、我々建設の仲間も
「もの作りの面白さを伝えよう」と
1日先生を務めます。

約1000人の技能者の1日先生が
楽しく、真剣に子どもたちと向き合います。

DSC_4837.JPG
規模の話をすると、
川崎市内、113校のうちの85校が開催。
川崎市内、7万人の小学生のうち約1万人が参加。
じつに、川崎市内の7人に1人の小学生が
参加をしています。

「子どもの頃に学校で工作やったよね」とか
「水鉄砲とか竹で作らなかった〜?」みたいな
会話も川崎市民の中では当たり前(?)の会話。
子ども時代に工作教室を体験した子が、大人になって
また先生になって工作教室に参加するなんてことも。
川崎の教育・文化を下支えする活動と言っても
過言じゃない!(言い過ぎか?)

木工作や竹馬づくり、竹水鉄砲、タイル絵の4つの中
からその子のやりたいものを選びます。

定番の木工作(定番だが上級生向けという
ハードルの高さもある面白さ)

DSC_4928.JPG
DSC_4931.JPG
お父さんもこの日ばかりは「俺の出番じゃ」と
張り切ります。
しかし、ちょっと難しいところはやはり職人さんの
出番。

DSC_4873.JPG
この時の子どもたちの羨望のまなざしが、気持ちいい。

竹馬や水鉄砲も、初めて作るものばかりで難しい。

P1050041.jpg
作り終わった後は、やっぱ

こうなります。

DSC_4896.JPG
DSC_4898.JPG

女子に人気が高いのが「タイル絵」
P1050022.jpg
わさわさと割れたタイルに群がります。
(いい色があるかな〜)

最近の小学生の芸術レベルは高く。

DSC_4855.JPG
一生懸命に板にタイルを貼っていくと・・・

P1050069.jpg

DSC_4902.JPG

こういうのや
DSC_4937.JPG

こういう感じになります。
P1020751.JPG

なにはともあれ、今年も大きな怪我もなく、無事に
みんな楽しめて本当に良かった。

初めて一日先生になった青年部の仲間も

「普段は現場でがむしゃらに仕事するだけ
 こうやって子どもたちと触れ合えて、
 自分が役に立って、本当に楽しかった」

と「楽しかった」を連呼していました。


いま、若い入職者が少ない建設業界。

それでも、人の暮らしを支える衣食住のうちの

住まいを築いていることは

心から誇りの持てる仕事です。

赤ん坊からお年寄りまで、建設職人の仕事の

世話になっていない人は一人もいません。

もの作りというのは、それだけで

カッコイイ仕事なんだなぁと

感じる瞬間でした。

ここから未来の職人が生まれたら

うれしいなぁ。



















 

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